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文法的妥当性に対する考え方

2007年4月6日
フロントエンド・エンジニア 木達

2007年3月1日
Bruce Lawson著

(この記事はWeb Standards Project(WaSP)における投稿記事「Another way to look at validation」を翻訳したものです。当Blogは翻訳の正確性を保証いたしませんので、必要に応じ原文を参照ください。)

A List Apartの新着記事において、WaSP名誉会員のEthan Marcotteは、Web標準を主張する際の方法について疑問を投げかけています。

文法的妥当性の検証の是非を巡っては、長いあいだ議論が過熱してきました。彼の記事「Where Our Standards Went Wrong」のなかで、Ethanはその議論を二つの対照的な意見に集約しています。

  1. 強硬的な立場を取り、もし私たちが言語のルールに従わなければ、すなわちそれは完全に異なる何か、つまり文法的に妥当でない何かを作っていることになる、という意見。
  2. 実際的な立場を取り、壊れたツールによって生成された文法的に妥当でないコードやサードパーティ製コードは、Web標準に対する賛同を全面的に否定するものではない、という意見。

彼は、もしどちらも正しいならどうすれば良いのだろう?とたずね、そして私たちが袋小路に陥っていると仮定しています。

その記事のなかで、Ethanは続けてWeb標準の売り込み方を論じています。彼は魅力的な以下の点を記しました。

しかしまた、次に挙げるような別のメリットを売り込めなていないことを嘆いています。

何が文法的妥当性検証に再び取り組ませ、それは実際Web標準を売り込むのにどのように使われるでしょうか?

昨年を振り返ると、Ethanは彼の業務時間の15%が文法的に妥当でないコードにまつわる作業に費やされたと書いています。その発見によって、彼はある結論を見出しました。つまり文法的に正しくないコードで構築されたサイトは、正しく適切に整形されたコードに基づくサイトと同じように見えるかもしれないけれど、経験した限りにおいては常に運用コストが高くつくものだ、と。あなたにとってそれは自明だったかもしれないけれど、一般的にはそれがWeb標準パッケージの一部としてクライアントに売り込むうえでの呼び物にはならない、と論じています。

クライアントのためのプロジェクトを立ち上げたり、彼らとWeb標準を議論するとき、あなたならどのメリットに焦点を当てますか?それはなぜでしょう?